「あら、あなた部屋に帰らないの?」


イタリアは厳格なクリスチャンが国民の多くを占める国だ。
皆が家で過ごすため、クリスマスはイブからほとんどの店がシャッターを閉め、街中はひっそりと静まり返る。…謝肉祭や復活祭、そうした賑やかな祭事とはまた別の側面を垣間見せる、それがイタリアのクリスマスだ。
そんな中でも、ヴァリアーの本部は関係なく稼動中だった。そして同じように本部で溜まっていた雑務をこなしていたスクアーロに向けて、外から帰還したルッスーリアがそう、言葉を投げかけた。
「あぁ?」
胡乱げな視線を向けるスクアーロに向き直り、ルッスーリアは良く手入れされた爪でぴっ、と壁に掛けられた時計を指す。
「もう五時を回ったわよ」
「……それがどうした」
「やーねぇ、今日はクリスマスよクリスマス。あなた、早く帰ってあげなさいよ」


武くん、家にいるんでしょ?


その言葉に、スクアーロは不機嫌そうに細い眉を顰めた。
「それで何で俺が早く帰るんだ」
「クリスマスは家族と過ごすもんでしょ」
「はっ」 短い罵声の後、嘲る方向に唇の端が引き上げられる。「…馬鹿臭ぇ。ただの預かりもんだあれは」
「あら、じゃ恋人って言っとく?」
「うぉぉい!聞いてんのかてめぇ!!」
あっという間に低い沸点を突破して、いい加減にしやがれ!とスクアーロは椅子を蹴って立ち上がった。胸倉を掴もうと伸びてくる腕を軽くいなしながら、ルッスーリアは嗜めるような口調で続けた。

「別にからかおうってんじゃないのよ」
そりゃあ私たちにとっちゃ神様も何もないけどねぇ。
そう、からりとした顔で言いきって、ルッスーリアは続ける。
「だけど、家族でも恋人でも友達でも、『ただの預かりもの』でも、クリスマスを一緒に過ごせる人がいるってすごくステキなことだと思うわ。……そうじゃない?」

珍しく真面目な表情に気圧されてぐっと口を噤むスクアーロに笑って、ルッスーリアは軽くその肩を叩いた。
「あなたのためと、武くんのためと、両方に言ってんのよ。――帰って、メリークリスマスのひとつも言ってあげなさいな」
きっと悪いようにはならないから。その言葉に続けて、ぽんと何かを放って寄越す。反射的に受け止めたスクアーロに再度笑んで、ルッスーリアは告げた。
「私からあんたのところの居候へ。」

手のひらには、小さなキャンドルと星が連なったオーナメントが光っていた。



- - -



結局、ルッスーリアに押し切られる形で、スクアーロは夕闇が下り始めた街中に追い出されることになった。

仕方なくぶらぶらと家路をたどる目の端で、意識していなかったためか無意識に視界から追い出していたのか、これまで目に付かなかったクリスマスカラーのイルミネーションや飾り付けがちらつく。
軽く舌打ちして、歩く速度を速めた。上着の右ポケットには、先刻渡されたオーナメントが入ったままだ。結局返すことも捨てることもできなかったそれが、実際以上に重く感じられてならなかった。これはルッスーリアから預かっただけだ、そう自分に言い聞かせることで、スクアーロは無理やり割り切ることにした。


そうだ、預かっただけだ。これも、あいつも。


夏に勃発した日本のボンゴレ襲撃以後、突然降ってわいた山本との同居話はスクアーロにとってまったく寝耳に水だった。保護と育成などという体のいい謳い文句を聞かされたところで、主観的に見ても客観的に見ても結局『世間知らずの子供の世話係』でしかない。そもそも、もともと敵対していた暗殺部隊に未来の守護者を預けるという、その発想からして正気の沙汰とは思えない。そのあたりを門外顧問にぶつけてみたものの、上層部決定を繰り返されれば引くしかなかった。ゆりかごとそれに続くリング騒動以来、まだまだボンゴレにおけるヴァリアーの立場は弱い。
幸い、現在マフィア間の勢力争いは比較的落ち着いていて、時間的にも精神的にも余裕があるといえばあるのが救いだ。長くて単調な謹慎生活に飽き飽きしはじめているベルやルッスーリア、マーモンなどは、むしろ面白がって歓迎するようなきらいさえある。
(あいつら、他人事だと思いやがって)
舌打ちしながらエレベーターを降りて、突き当たりの扉の前に立った。呼び鈴を押した後のノックは一回、二回、間をおいて二回。ややあってがちゃりと留め金を外す音が聞こえ、扉が開いた。
ひょこりと黒髪が覗く。見上げる顔が少し驚いたように目を瞬かせた。
「――おかえり、早かったのな」
「……、ああ」
歯切れ悪く受け流す。山本は不思議そうな顔のままだったが、深く問いかけてはこなかった。
「何か作ろうか? 夜飯までまだ間があるけど……」
「要らねえ。――あー、コーヒーだけ入れてくれ。冷えた」
「うん」
スクアーロから受け取ったコートをハンガーにかけて、ぱたぱたと遠ざかっていく足音を聞きながら小さく息をつく。こんな状態にも、三か月を過ぎてようやく馴染んできた。はじめは剣を外すのにも抵抗を覚えるほど気が張っていたものだが。
(慣れっつうのは、恐いもんだなぁ)
今やこの住居のキッチン周辺は着々と山本の勢力範囲内におかれつつある。リビングも時間の問題だろう。そのことに特に異論を唱えるつもりもないのだが――

またぱたぱたと足音がして、両手にコーヒーカップを持った山本が現れた。
差し出されたカップを受け取ってソファにどっかりと腰を掛ける。人心地ついたところで、ふと山本がそのまま去らずにその場に立ち尽くしていることに気がついた。
「……何だ?」
「――あ…、いや」
言いかけたことを飲み込むような間を置いてから「何でもない」と山本は言葉を濁した。
知らず知らず眉根が寄る。実は、山本と話しているとこういうことが頻繁にあった。本人は隠しているつもりなのかもしれないが、話をしている当人からすれば非常に判りやすい。
(――こいつ、昔からこんな奴だったかあ?)
雨戦やその後のやりとりを思い出す限り、どちらかと言えばサバサバしているというか、不敵というか、あっけらかんとした印象があったのだが。あの時が特別だったのか、それとも日本での事件を経て変わったのか。……いちいち目くじらを立てるのも面倒で深追いはしないが、それはひどくスクアーロを苛つかせた。
(くそ、)
何で俺が。
またその方向に思考が向かいかける。
苛々し始めた気分を収めようと、煙草をとるためにポケットに手を突っ込んで――そこで、手に当たったものに気が付いた。……ルッスーリアから預かったオーナメント。一瞬迷ったが、今は深くものを考える気にもならなかった。手のひらに掴み出して「おい」と山本に声をかける。ひどく不機嫌な声になったことに気付いたがそれもどうでも良かった。
「――なに?」
近付いてきた少年に、顎だけで手を出すように促す。不審気に、でも素直に両手を差し出したその上で、自分の手のひらを開いた。
山本の手の上に、小さなキャンドルと星が光りながら落ちた。
「これ………」
「クリスマスだからなぁ、」
やれやれ、と一仕事終えた気分で立ち上がり、立ち尽くしたままの山本に目を向ける。「ルッスーリアに……」
言葉は口にしかけて途切れた。
ぎゅっとオーナメントを胸元で握りしめて、顔を紅潮させて自分を見つめている少年の表情が、緩やかにほころんでゆく。


「――ありがとう」


花が開くような笑顔というものを、初めて目の当たりにした。
リング争奪戦の時に見た笑顔が不意に記憶から蘇る。あのときの笑顔と同じ色をしていた。こちらにきてから見たどの笑顔とも違う笑顔だった。


『メリークリスマスのひとつでも……』


知らず知らずのうち、唇が動いて、言葉が零れた。

「……Buon Natale」
きょとんと見上げる目に、「あー」とがしがし頭を掻き回して、ぶっきら棒にスクアーロは言い直した。
「…メリークリスマス、ってことだぁ」

「……………あ、」
色素の薄い大きな瞳がさらにこぼれ落ちそうなほど大きく見開かれる。一瞬の間を置いて、部屋の中に笑い声が弾けたように満ちた。
「あははははははっ…!!!」
一瞬の驚きは、遅れて生まれた憤慨の思いに取って替わられた。
「……てっめえ!」
恥ずかしさを紛らわしたいのも手伝って、噛み付くような勢いで笑い続ける少年に詰め寄る。それを「ちがう、違うって!」と制しながら、山本は目尻に浮かんだ涙を指でぬぐってスクアーロを見上げた。
「――違うんだ。……あのな、俺もさっき言おうと思ったんだ。まさか、スクアーロが言うなんて……、先を越されるとは思わなくって」
「泣くほど笑うところかぁ!」
「ごめんな、――何か、すげーうれしくって」
笑いが止まらないんだ。そう言ってまた笑い始める。それを横目で眺めながらくそ、とスクアーロは舌打ちをしたが、それはけして不快感からではなかった。
ルッスーリアの声がまた脳裏をよぎった。
『あなたのためと、武くんのためと、両方に言ってんのよ』
(………そういうことかよ。)
視界の先では、ようやく笑いがおさまったらしい山本が、一息ついてスクアーロに向き直った。その瞳が、真っ直ぐに自分の姿をとらえる。それを同じように真っ直ぐ受け止めながら、こうして自分とこの少年が正面から向き合ったのは、あのリング戦の時以来初めてかもしれないと、ふと思った。




「――メリークリスマス、スクアーロ!」
「………メリークリスマス」





きっとここから、また新しい日が始まるのだ。










はじめてのクリスマス





BACK