4.24. 02:30



「――こちらsecondo、ターゲットは1分前にC地点を通過。護衛は後に一台、黒いバンが。primaの報告から変化無し。」
「こちらazzurro。今ターゲットを目視で確認。――ゲートが開き始めた。4.24. 01:30、作戦開始。」
「作戦開始。pesceは側にいるの?」
「いるよ」
「pesce、あんたしっかりフォローすんのよ? オーヴァー」
「余計な口叩くな。……オーヴァー」



- - -



降り注ぐ陽射しが春の暖かさを増してきたある日、ボンゴレ本部からヴァリアーの事務所に一通の封書が届いた。
ヴァリアーという組織ではなく、珍しいことにスクアーロ個人宛になっていたその封書の中にはもう一通、薄い封書が入っていた。手触りのいい上質の紙で作られたそれは紛れもない死炎印で封をされていて、どうにも嫌な予感を掻き立てた。ちょうど事務所に居合わせたザンザスの視線に圧されるようにして封を破き、スクアーロはその予感が当たったことを知った。
ターゲットに関する情報、周囲の組織の動き、そして任務遂行の期間。一見、ごく普通の任務依頼書の形だ。
最後に記された一行を除けば。


『尚、この任務へのボンゴレ十代目・雨の守護者の同行を命ずる』


(――そろそろ本腰入れて動き出したってことか)
思わず出かかった舌打ちを、溜め息に変えて吐き出した。
あの襲撃事件から――山本がイタリアに住み始めてから丸三年。単なる保護育成期間は終了し、そろそろ実戦に出してみろというわけだ。ボンゴレは縁者としての世話や親切で山本の後見役でいるのではない。あくまでマフィア組織ボンゴレの手駒として、より強固な礎を築くための準備としてスクアーロに身柄を預けているのだから。
背後ではザンザスがじっとこちらに視線を投げ付けている。その気配に再度息をつき、スクアーロはぐるりと振り返った。
「うちのガキを任務同行させろだとよ」 手にした白い書状をひらひらと振ってみせる。「……同行、たぁ良く言ったもんだぜ」
鼻で笑い、冷たく眇めた目でその一文を見返す。どんなに言葉で距離を置こうとも、要するにマフィアとしての『仕事』へ参加しろということだ。
「中央はいつの間に、こんな任務書寄越すようなまだるっこしい甘ったれ軍団になったんだぁ?」
「―――カスだ」
「あ゛あ?」
黙って書状を見つめていたザンザスが、ぼそりと呟いた。
「あのカスだな。……その死炎印だ」 
「!」
驚いて封を返した。ボンゴレ歴代当主は代々受け継がれてきた紋章の他に、各々の意匠を凝らした印章を持っている。炎が消えた後に残っていた印は獅子の意匠を配置した印章――つい最近通達されたばかりの、十代目当主の印章だった。次期ボンゴレ当主・沢田綱吉による指令。……つまりはそういうことだ。
「どんなツラして印を押したんだかな、あの弱っちい雛が」
絶句したままのスクアーロをよそに、捻じ曲がったような口元の片側だけを上に引き上げてザンザスは昏い笑みを作った。「面倒見のいい家庭教師殿に、ケツを蹴っ飛ばしでもして頂いたかね。……よっぽど部下の方が肝据えてるんじゃねえか?」
「……さあな」
「『同行』か。命令なんぞに構うこたぁねえ。華々しく主賓席に座らせてやれ。――あのカスはまだ自覚が足らねえらしい。報告書がいい刺激になるだろうさ。」
「………」



――『了解』と即答することができなかった。

それを咎めるわけでも莫迦にするわけでもなく、お前宛ての仕事だお前が下準備してサポートに就け、と、ザンザスはそれだけ淡々と告げた。与えられた情報の処理や不足分の収集や、ルートや日程の決定など、任務実行の前にこなす仕事は多い。流石にそれを初心者に任すつもりは無かったのだろう。
一方、任務の件を伝えられた山本の反応は拍子抜けするほどあっさりしたものだった。少し目を伏せて「そっか」と頷き、更にもう一度確かめるように頷いてから少し笑って「宜しくな、スクアーロ」と、そう言った。狼狽も拒否もしなかった。――それが、どうにも気に障った。
「……あっさりしたもんだなぁ」
溜め息と共に、思わず皮肉めいた言葉が口をついた。
「ちったあ抵抗しようと思わねえのか手前ぇは」
「だって俺、そのためにここにいんだろ?」
答えはさらりと投げ返された。思わず返す言葉に詰まる。抜けているようで根本については鋭いほど把握している性質は、この三年半で十分理解した。……それでも偶にこうして思い知らされる。ぐしゃぐしゃと長い髪を掻き回して、スクアーロは苛々を持て余しつつあさっての方向を向いた。
「はなから諦めてやがんのか」
「別に…、そんなわけでもねーけど」 
「……まあいい。どっちにしろ指令は動きゃしねぇんだ。だが、――ひとつだけ、作戦の実行日時だけはお前が決めろ。リミットは五月一日だ。」
言いながら、現時点で揃った資料をばさりと目の前の机に投げ出す。「その他は俺が準備しておく。理解できる所だけでいい、そいつに目を通して…」

「決めた」

「あ゛あ?」
話の腰を折られ、スクアーロは盛大に眉間に皺を寄せて山本を睨んだ。テーブルの向かいに座る少年は、真っ直ぐスクアーロを見つめて繰り返した。
「決めた。……実行日時。」
「―――!」
声も無く見つめ返す先で、薄い茶色の瞳はどこまでも静かな光をたたえていた。


「俺が決めていいんだろ?」



- - -



先発隊との通信を終え、二人は静かに目的の屋敷の前に降り立った。――風はない。月は厚い雲で覆われている。夜明け過ぎには雨が降るらしい。任務には悪くない条件だ。
鉄の固まりのような巨大な門がゆっくりと開いて、二台の車を内側へ飲み込んでゆく。車が通り抜け、また重々しく閉じてゆく隙間を縫うようにして入り込んだ。事前の情報通り、門は完全なオート式で周囲に人影はない。その分ゲート周囲にはカメラがいくつも設置されているが、今はマーモンの幻影がフォローしてくれているはずだ。
そのまま照明の届かない暗がりを選んで、一気に裏手の倉庫群まで駆け抜けた。暗がりに身を潜ませてしばらく辺りの様子を窺ったが、人の動く気配も声もしないままだった。ひとまず、潜入は無事に成功したらしい。
隣で山本が長い息をつく。じっとりと米神に汗が浮かんでいた。それにちらりと目を走らせて、ぼそりとスクアーロは問いかけた
「――時間は?」
「二時前」
「違ぇだろ」
「っ、ごめん。…01:55」
「よし。――少し間があるな。定刻までここで待機だ」
うん、と山本が首を頷かせる。その返答に眉間を押さえて唸った。ぺん、と斜め前で腰をおとす黒髪頭をはたく。
「…そうじゃねぇだろうがぁ」
「あ、えっと。了解。」
慌てたように言い直すのをぎろりと一瞥する。ぎくりと体を強張らせて、山本はきまり悪げに首を垂れた。
「悪ぃ。――慣れなくて」
「任務じゃ時間や指示確認は命に関わる。さっさと慣れやがれ」
「……うん。」
唇を引き結んで、ぎゅっと握った拳を確かめるように何度も開閉する。緊張したときの山本の癖だった。野球をやっていたころからの癖だと聞いたことがあった。
「――おい」
「ん?」
それを見ながら、ずっと胸の奥で燻っていた問いが、するりと口を衝いて出た。

「―――何で、今日を選んだ」

一瞬、色素の薄い瞳が大きく見開かれた。
暗闇の中でも、それがはっきり見て取れた。だがほんの数秒の後、その表情はいつもの笑みに隠れて見えなくなった。
「……ええと、……気分?」
「誤魔化すなぁ」へらりと笑った顔をきつく睨み付ける。「……なぜわざわざ今日にした」
「別に――」
「だから誤魔化すな! ――今日は手前ぇの誕生日だろうが!」
今度こそ、山本は目を丸くしてスクアーロを顧みた。
「……スクアーロ、覚えててくれたんだ」
小さく漏らした声は、普段より幾分掠れて響いた。宙を浮いた視線がしばらく彷徨って地面に落ちる。その横顔を黙って見つめていると、やがてぽつんと山本は呟いた。
「――あやかってみようかなって」
「何にだぁ」
「あんたに」
「………あ"ぁ?!」
盛大に眉間に皺を寄せて睨む先で、山本は静かにスクアーロに向き直った。そうして数瞬躊躇ってから、口を開いた。


「……あんたの誕生日、あれ、ヴァリアーに入った日だって聞いた」
「!!」


一体誰が教えたのか? いや、そもそも一体誰がそのことを知っていたのか。
じっと見つめる眼差しの前、その疑問が白くなった脳裏を駆け巡った。混乱が顔に出たのか、立ち尽くしているスクアーロに目の前の少年は少し微笑んで、「ザンザスに」と簡潔に答えた。
追い討ちを受けた形で唖然とするのを前に、訥々と言葉をつないでいく。

「……スクアーロから任務の話を聞いたとき、ああ、その日が来たんだなって思った」
薄い茶色の瞳を伏せたその表情は、どこまでも静かだった。
「動揺しなかったって言ったら嘘になるけど…、俺どっかでずっと、いつだろうって思ってたから。だから、変な話だけど、何かほっとした。……あの時、あんた言ったよな、最初から諦めてやがんのかって。諦めてなんてねーんだ。多分、それはもうずっと前に越えた。 ――俺は、待ってたんだから」
黒い髪。黒い服。全身が闇に溶け込みそうな中で、右手に握られた刀の刃だけが淡く白い光を反射する。剣を持たないもう片方の手が握られて、ゆっくりと開かれて、またぎゅっと握られた。
「けど、どっかで区切りが欲しかった。こっから先と、今までへの区切りが。――そう思ったときにあんたの誕生日のことが浮かんだ。……でも、俺は、もう誕生日を持ってるから、」

「―――だから今日にした。」



俺の、“二度目の”誕生日だ。






 ヴァリアーに正式に入ったとき、俺はこいつと同じぐらいの年だった。
 自分が選んだ道を妥当だと思ったことこそあれ、後悔したことなど一度もない。血を浴び、血を流し、悲鳴と怒号を糧に
 暗闇を飛び回ってきた十余年。――その血だらけの道が、道程が、一瞬眼前に広がった気がした。

 後悔したことなどない。
 だが。



(――お前は、新しく何に生まれ変わるつもりだ?)






「―――タケシ、」
目の前ですっきりと笑ってみせた少年に、自分は一体どんな顔で呼びかけたのだろうか。山本は一転して困ったように眉を下げて、けれどもやはり笑ってみせた。
「……大丈夫だって。」
確かめるように頭を頷かせて、もう一度。

「大丈夫。 ――俺は変わらねーよ、スクアーロ」

やわらかな声だった。
「ツナがいて獄寺がいて、小僧がいて、雲雀がいて、センパイやディーノさんもいて、………」
それに、スクアーロもいるんだ。そう照れくさそうに色素の薄い瞳が細められる。
「そりゃ全然ってわけにはいかないかもしれないけどさ。――でも、そんなの誰だってどこだって、同じだろ? 年取るってそういうことだろ」
「…………」
「たぶん、あんた色々誤解してるよ。 ……俺、守りたいものが、まだいっぱいあるんだ。そう思わせてくれる人がいっぱいいるんだ。 ――だから俺は、ここにいたいんだ。」
誓いのように真摯な、祈りのような切実な響きが、隠しようもなくそこにはあった。

「……ここにいて、いいだろ?」


数週前の、自分の上司の言葉が脳裏を過った。

  『―――よっぽど部下の方が肝据えてるんじゃねえか?』




「………ハッ、」
ようやく取り戻した自我のコントロールを総動員して、スクアーロは口元に笑みを刻み込んだ。殊更に嘲りの色を濃くしてぞんざいに言い放つ。
「解ったような口ききやがって。てめぇが年取ることについて語るなんざ10年はぇえぞぉ」
「はは、うん、自分でもちょっとそう思った」
「んなこた50年後まで生き延びてから言いやがれ。…この世界は甘くねえぜ?」
「うん。 ……なぁ、スクアーロ」
「あ゛ぁ?」
「ありがとな」


ジジ、と小さなノイズが一瞬の静寂を破った。
はっと意識が耳元の通信機に引き戻される。

『よー、azzurro。準備はどう? ししし、足竦んだりしてねー?』
小型のマイクロ無線から、特徴的な笑い声とともにハイトーンの陽気な声が入る。わずかに苦笑を漏らして、山本が囁くような、でもしっかりとした声で返した。
「……ん、予定どおり。準備完了」
『りょーかい。そんじゃ行こうか?―― 04.24 02:30、突入開始』

「復唱。……04.24 02:30、突入開始」






黒いコートが夜の闇に翻る。

音も無く駆け出した背中へ、スクアーロは胸の中で静かに呟いた。



(Buon Compleanno、ヤマモトタケシ)









―――ようこそ、新しい世界へ。





















スクアーロ誕生日の話を下敷きとして、
期せずしてスターフォールのスクアーロへの解答編になったかもしれないです
守りたい仲間と支えてくれる誰かがいれば、山本はどんな時も真っ直ぐ進んでいける子だと思う




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