「――あ、携帯鳴ってる」

雑踏の中を歩いている途中だというのに、耳聡く隣の山本がスクアーロの上着のポケットを指差した。
「………」
発信者を確認して、無言で山本に目を向ける。山本も心得たもので、「じゃ、俺先に並んでるな」と手を振って傍を離れた。
家にいるときも、外にいるときも。スクアーロは決して仕事関係の会話を山本には漏らさない。ヴァリアーの事務所や仲間から仕事用の番号に電話があったとき、必ず山本のいないところで会話は行われた。山本もやがてそれに気が付いたようで、いつしかそうした連絡があったときは、自分から距離をとるようになっていた。
「――俺だ」
遠ざかる山本の背中を見送ってから、路地裏に入り込んでスクアーロは通話ボタンを押した。



- - -



真っ当という言葉からほど遠い暗殺稼業にも休暇はある。持ち回りで回ってくる夏の休暇がやっとスクアーロに巡ってきたとき、季節は秋に差し掛かっていた。
休暇といっても、特に何かすることがあるわけでもない。夏のようにうだるように暑い日が続けば、かえってまだ避暑地に出かけるかという気にもなるのだが、過ごすのに丁度良い気候となってしまった今そんな気にもならない。結局、時間潰しのように食べてトレーニングして寝て、といった健全だが単調な生活に落ち着いた。
そんな風にして暇を持て余している姿を見かねたのだろうか。ある日山本が映画のチケットを手に帰ってきた。最近封切された映画のチケットだという。たまには街に出て外の空気吸った方がいいぜ、という言葉に動かされたわけでもないが、まあ時には二人で出かけてみるのもいいかと承諾した。
……そして、街に出た途端にこれだ。
通話を終えて携帯電話を畳みながら、スクアーロは軽く溜め息を吐いた。ようは、緊急の仕事が入りそうだからいつでも出られるように待機しておけ、ということらしい。指令自体に異論のあるわけもないが、この外出をセッティングしてくれた少年に対して、ちらりと後ろめたい気分が浮かんだ。もっとも当人はいつものように笑って「しょうがないのな」と答えるだけなのだろうが、その笑顔を額面通りに受け取らない程度には、同居生活の時間は重ねられている。
――ともかく、山本を捕まえて戻らなければならない。
手にした携帯をポケットに突っ込みながら、スクアーロは早足で歩き出した。

(――どこ行きやがったぁ、あのクソガキ)
劇場に到着したのはいいものの、そこでまたスクアーロは憮然とすることになった。
上映する映画の列にも窓口にも、それどころか映画館の周辺にも、山本の姿はなかった。仮にも自分が稽古をつけている身、しかもこれほど人気の多い場所で滅多なことはないだろう。だとすると、
「……迷いやがったか」
この周辺の地図を思い起こす。じっとしていられない犬並みの少年がひょこひょこと迷い込みそうな路地を思い浮かべて、……徐々に自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。



- - -



山本は困り果てていた。
目当ての映画には、まだ大して列はできていなかった。これだったら並ぶ必要はなさそうだな、と判断して、そうすると頭を擡げてくるのは周囲に対する好奇心だ。一人ではあまり来ることもない場所、スクアーロが来るまでの間くらいいいだろうと横道に入ったのが間違いだったのか――、ふらふらと入り込んだ先に待ち構えていたのは、山本でさえ一目でそれとわかる、ピンク色や紫色のネオンと看板の洪水だった。
その片隅で山本は両脇と前を、肌も露な格好をした女性にがっちりと固められていた。……所謂プロのお姉さま方だ。道を聞く相手をもっとよく選べば良かった、と、現在進行形で心の底から山本は後悔していた。
「あの、おれ、待ち合わせが…」
もう何度目になるのか、同じ台詞を繰り返す。言葉に込められた『だからそこを離れて通してくれませんか?』という思いは、今までと同じようにきれいさっぱり無視される。それどころか、女性たちはしどろもどろの様子に笑みを深くして、ますます近くに寄るばかりだ。
「ん、どこのお店? 案内してあげるわよ?」
「日本人? それとも中国人? ……旅行者じゃないみたいね」
「いいじゃないの、待ち合わせのお相手が来るまで、ちょっとお店に寄っていかない?」 
同世代の少女ならまだしも、百戦錬磨の女性たちに山本が太刀打ちできるわけもない。じりじりと迫られて、どん、と背中が壁際についた。もう逃げ場がない。やんわりと胸元や腰に手を添えられて、ひぃ、と情けなくも悲鳴のような声が漏れた。
――ヤバい、非常にヤバい。
冷や汗が一筋背中を伝ったそのとき、天の助けのように声が響いた。
「うぉぉぉぉい! てめぇ、こんな所に迷い込んでるんじゃねえ!!」
「!!」
涙目になって視線を向けた先には、銀髪を振り乱してずんずんとこちらに歩み寄ってくるスクアーロの姿があった。こちらをひとまとめにしてぎろりと睨みわたすその視線に、だが女たちは怯みもしない。
「―――あら、すてきね」
「坊やの待ち合わせの相手?」
山本の傍から離れず、あまつさえ近付いてきたスクアーロの顎に誘うように指をのばして――そこで、はたと女の一人が気が付いた。
「……スクアーロ? やだ、久しぶりじゃない」
「あら、あなた知り合い?」
「上客よ。最近とんとご無沙汰だったけど――」
しまった、と話題の矛先になったスクアーロの顔が一瞬歪んだ。
急な話の方向転換についていけず、山本はきょろきょろとスクアーロと女性とを見比べている。その山本の肩を掴んで女たちの中から強引に引き寄せながら、スクアーロは口を開いた。
「あー、……こいつはまだこっちに慣れてねえんだ、勘弁してやってくれねえか」
「――ふうん」
話しかけてきた女は、値踏みするように二人を見つめる。――赤く口紅を引いた形のいい唇が、にっと弧を描いた。
「………そういうこと?」
「! ちげえええええ!!」
「……?」
「あら、いいんじゃないの、宗旨替えもそれはそれで。」
ひらひらと手を振りながら女は艶やかに笑って、他の二人を促して踵を返した。後には、顔を真っ赤にして口を開閉させるスクアーロと、相変わらず状況が掴めずに頭上に疑問符を浮かべている山本が残される。――数歩歩き出して、思い出したように女は振り返った。

「――可愛い恋人、大切にしてあげなさいよ!」

投げかけられた一言は、スクアーロを完膚なきまでに叩きのめした。



- - -



(あ〜、参った………)

ヴァリアーのアジトで、スクアーロはがっくりとソファに腰掛けた。言うまでもなく原因は先刻の繁華街での出来事だ。――あの通りには、その気になった時に立ち寄って世話になったことが数知れずあるのだが、もう向こう一年は顔を出せないだろう。
そして、それ以上に。
(――俺は、アイツと、そんな風に見えんのかあ?)
深々と溜め息をつく。その額にスコーンと小気味いい音を立てて空の酒瓶がぶつかった。
「っってえ! 何しやがるてめえ!!」
「だって来るなりうざいんだもん、あんた。何深刻ぶって溜め息なんてついてんの」
投げたベルはそ知らぬ顔で片手で残った空き瓶を弄んでいる。重ねて怒鳴りつけようとして、はたとスクアーロは思い直した。
「―――おい」
「…何」
「俺と山本が並んで歩いてたらどんな風に見える?」
ちらりと視線を向けて、はん、とベルは納得したように鼻を鳴らした。
「……あんたがあらゆる意味で犯罪者に見える」
「うおおおおい!!」
ふざけんじゃねえぞ! と椅子を蹴って立ちあがったスクアーロを上から下まで眺めまわして、心底呆れたようにベルは口を開いた。
「何、あんた兄弟とか友人とかそんなまともな答え期待してたワケ?……残念だけど今の、すっげー一般的な答えだと思うよ」
「あーあああ、もういい! てめェになんぞ聞いた俺がバカだった」
性犯罪者、誘拐犯、人身売買……、と指を折って数えるベルに怒鳴って、肩をいからせたまま大股でスクアーロは部屋を出ていった。自棄っぱちな音をたてて力任せに閉じられた扉を眺め、指を折ったポーズのまま「あーあ」とベルは首を振った。
「……本当にぜーんぜん自覚してないんだ、アイツ」
きしし、と笑って大きく伸びをして。長椅子に横になり組んだ足をぶらぶらと振りながら、誰ともなしに歌うように呟く


「あーんな甘い目で見てたら、普通の友人同士になんて見えるわけないじゃん〜?」


変化は一目瞭然だ。――少なくとも、何年も一緒に過ごしている自分たちには。

(……ま、せいぜい悩めばいいんだよね)
しばらくはスクアーロをいじる話題に事欠くこともないだろう。結末がどこに向かうとしても、とりあえず今が楽しければいいさと彼らしく結論を出して、ベルフェゴールは満足したように目を閉じた。












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