「う゛ぉおい、何だこれは…」

その人混みを見て、隣の男は唖然としたようにそう呟いた。――相変わらず濁音がかったのその声に、呆れとかうんざりとか辟易とか、そんな類いの響きが一緒になってありありと混ざっている。
それを聞きながら、まあ仕方がないよな、と山本は軽く苦笑いを浮かべた。見渡す限りの人、人、人。人が多い所が苦手というわけでもない自分でもちょっと尻込みしてしまうような人の山だ。スクアーロがそんな声を出してしまうのも仕方ないし、それだけ人が多いのも仕方ない。何と言っても今日は元旦で、ここはこの辺りで一番大きな神社なのだから。
取り敢えずはぐれたりしないようにと、後を付いてくる男を振り返り振り返り注意を払いながら、人波をうまく渡って目的地へと近付いていく。本殿参拝へ続く道から細い横道に分かれて、そこでようやく息をつくことができた。余裕ができたらしいスクアーロが、物珍しげにぐるりと辺りを見回す。冬に入っても松が濃い緑をおとして、本道からのちょっとした緩衝地帯のようになっていた。
「――随分人が減ったな…。……おい、こっちでいいのか?」
「ん、大丈夫。」
喧噪を背に、人気の少ない一角に歩みを進めていく。じきに植え込みが途切れて、組み上げられた木に赤々と炎が立ち上る光景に行き当たった。
「?」
少し離れた位置にいても火の熱が肌を刺し、ぱちぱちと木の爆ぜる音が響いてくる。不審そうに眉を顰めるスクアーロに笑いかけ、山本は手に提げていた紙袋からごそごそと中のものを取り出して手渡した。
「何だぁ、こりゃ」
「破魔矢とお札」
店と家を守ってくれるおまじないみたいなものかな。そう説明しながら残りの札を手に取る。そして、勢い良く燃え盛る火の前に歩み寄った。
「どっちも、一年ごとに新しいのに替えるからな。―― 一年守ってくれてありがとうって、古いのを神社で燃やして、新しいの買ってまた飾るんだ」
軽く投げ入れた白い札に炎がまわり、あっという間に灰に変わってゆく。軽く手を合わせて目を閉じる横で、スクアーロも山本に倣って破魔矢と札を投げ入れた。手を合わすことはせずじっと燃え盛る炎を見つめる男に「新しい札買いに行こうぜ」と声を掛け、山本は砂利道を歩き出した。



大晦日の夜。
おせち作りも大掃除も目下の配達もひと段落付いて、やれやれとお茶を入れていた竹寿司、もとい山本家に、このイタリア人は突然訪ねてきた。
聞けば急な用事で日本に来たところ、普段根城にしているホテルが年末年始の休みに入っていたという。こなしている稼業が稼業のため、泊まれればどこでもいいという訳にもいかない。知っている場所で住所を覚えているのがここしかなかった――、そんなことを決まり悪げに話すスクアーロにみなまで言わせず、山本は大喜びでその背を押して家へ招き入れた。慌ただしい年の瀬ではあったけれど、父親である剛も一緒に酒を酌み交わせる相手が来たと相好を崩して歓迎した。
親父、飲み過ぎちまうんじゃねえかな。そうちらりと頭を過った懸念は案の定的中し、年明け早々剛は二日酔いで布団の中にいる。例年なら山本家親子で行われる年始の初詣と札供養は、そうして今年は一人息子と訪問者によって行われることに相成った。



「スクアーロ、酒強いのな」
「あぁ? そうでもねぇよ」
表の参道と違って、裏側の細い砂利道は人気が少なかった。
その道を、ぽつりぽつり他愛も無い会話をかわしながら、二人は肩を並べてゆっくりと歩いた。
「だって親父のこと潰しちゃっただろ。親父酒けっこう強いんだぜ?」
「……剛がかぱかぱ空け過ぎなんだありゃあ」
「気兼ね無く呑める相手が来てくれて、うれしいんだよ親父」
「そういうもんか」
「うん」
かつん、と爪先に小石が当たった。そのまま蹴り飛ばされた小石は脇の草むらに転がって、見えなくなった。

「……もうちょっと早く連絡くれたらなあ」

「はあ?」
呟いた声は思っていたより響いて、しっかり隣の男の耳に届いたらしかった。盛大に眉を顰めてスクアーロは山本の顔を顧みた。
「いや、――したら、ちゃんと御節も三人前用意したのになって」
へへ、と誤魔化すように笑って頬を掻く山本を呆れたように見遣り、「アホかぁ」と一言吐き捨てる。
「観光に来てるんじゃねぇんだぞ。連絡なんて入れるわけねえだろうが。」


(――やっぱり)


解ってはいたが、ちいさく苦笑が漏れた。
泊まる所があろうがなかろうと、来る用事が何なのであろうと。日本に来るのだったら連絡ぐらいくれたらいいのに、と山本はこっそり胸中で溜め息をつく。……仕事の話だお前には関係ない、と言われるのは分かっている。その言葉が尤もであることも分かっている。―― それでも。
(会いたいって思うのは、間違ってんのかなぁ)

スクアーロが、剣を携えて山本を訪ねるようになったのはいつ頃だったろうか。
最初は、ただただ驚いて嬉しかった。回数を重ねる毎に待ち遠しくなった。そのうち、ただ待つのが辛くなった。それとなく尋ねた連絡先はことごとく質問の矛先を変えられて、遠回しに返答を拒否された。 
(……こーやって俺んちに来てくれただけでも、満足しなきゃいけないんだろうな)
未だに山本は、スクアーロにつながる電話番号も住所も何一つ知らない。スクアーロがどこかで怪我をしても、あまつさえ死んでしまっても、おそらく自分の所にその話は伝わってはこないだろう。


住む世界。
年齢の差でも国籍の差でもなく、それが絶対的な距離として、今も二人の間には冷然と横たわっている。




「――う゛ぉおい! 何をボケてやがる!」

呼びかけられた怒鳴り声に、はっと顔を上げた。
数歩先、呆れたような表情でスクアーロがこちらを振り返っている。その向こうに、色とりどりの札や御守りや矢や干支の人形や、その他諸々の商品ををぎっしり軒下に並べた小さな社が見えた。気がつけば周囲にはだいぶ人も増えている。いつの間にか目的地に着いていたらしい。
「わ、わりい」
小走りで駆け寄って、スクアーロと肩を並べた。人混みを縫うようにして軒先に近づき、目当ての札や破魔矢をきょろきょろと見渡す。店や家に置くのにちょうどいい大きさのものを選んで手に取り、ふと、その脇に並べられたものに視線が向いた。
「………。」
すぐ横にいるスクアーロを、そっと見上げる。
見上げられた当人は、それに気づかないまま珍しそうに干支を象った土鈴人形を摘み上げ、振ったり裏返したりしている。その姿にちいさく笑みを浮かべて、山本はつい今しがた目を止めた小さなそれを、静かに手に取った。



* * *



スクアーロは結局土鈴を買わなかった。帰る道すがら、買わねーで良かったの?と聞けば、苦笑交じりに「暗殺稼業が音の出るものなんて持ってられるか」と返された。その言葉に思わずぎくりとする。
(大丈夫、――音が出るようなものはついてなかったし)
記憶をたどって安堵の息をつきながら、普段とはうってかわって人気のない商店街の、その入り口まで来たところで山本は足を止めた。怪訝そうに顧みるスクアーロを前に、ごそごそとジャケットのポケットを探ってその中にあるものを手のひらに掴み出す。
「……スクアーロ、これ」
呼びかけた声と差し出した手に、男は片眉を僅かにあげた。それでも特に問うことはせず、すっと手を伸ばして山本の手にあるものを受け取る。白い紙にくるまれたままの小さな四角いそれ。

「それ、やるよ」
「……なんだこりゃあ?」
「御守り」

ぱりぱりと黒い皮手袋が紙を破く。その中から金糸で刺繍の施された、赤い小さな袋がのぞいた。
「オマモリ?」
今度こそはっきりと眉間に皺を寄せて胡散臭げな表情をするスクアーロに、山本は片手のビニール袋を軽く掲げてみせた。「――こいつらと似たようなもん。持ってたら、悪いこととか不幸を払ってくれるのな。事故とか病気とか――、怪我とか」
眉間に刻まれた皺が更に深くなった。
「……いらねえ」
必要無え。憮然とした声と顔で、破かれた包みごと押し返される。その手首をあわてて掴んで、山本はスクアーロを真っ直ぐ見上げた。
「――悪ィ。言い直す。 ………俺があんたに贈りたいんだ」



数瞬の間、沈黙したままの二人の視線が、正面からぶつかった。



「……あ゛〜〜、」
最初に視線を外したのは、スクアーロだった。
あさっての方向を向いたままばりばりと銀色の髪をかき回す。唸るような声を上げ、次いでぎろりと山本のことを睨めつける。
「俺は神もホトケも信じちゃいねえぞぉ」
ぼそり、と返された声に、山本はぱちりとひとつ、瞬きを落として少し俯いた。
「……日本の神様は、そんなケチ臭せーこと言わねえのな」
「暗殺屋でも守ってくれんのかぁ」
「――かんけーねーもん、そんなの。」

呟かれた言葉に、やれやれと言いたげなぶっきらぼうさで、それでもどこか優しげに。スクアーロは自由な方の手を伸ばして、自分の手首をぎゅっと掴んでいる少年の手を外した。
そのまま解放された手をジャケットの内側に突っ込む。中を探る音と、ジッパーを開ける鈍い音がして――、ややあって出てきた手のひらにはもう、先ほどの小さな包みは無くなっていた。

「……おら! さっさといくぞおぉ!!」
そう怒鳴りながら、やたら早足で風を切って歩き出す長髪の男を、ぽかんと口を開けたまままじまじと見つめた。
やがてじわじわと、温かい気持ちが自分の心を満たしてゆく。……踵を返す瞬間、風に煽られた銀色の髪の間から見えた横顔がわずかに赤くなっているように見えたのは、はたして気のせいなのだろうか?


「――へへ!」


追いかける自分の口元が緩んでしまうのは、仕方ないだろう。

相変わらず早いスピードで先をゆくスクアーロに小走りで追いつき、そのままの勢いでがばっと背中にダイブする。うおあ!と妙な声をあげて踏ん張るスクアーロの耳横で、山本は屈託なく笑って囁いた。
「なあ、来年も来てくれよな」
「はあ?!」
「古い御守り供養して、また新しいの買うからさ」
「う゛ぉい、調子乗るんじゃねーぞてめえ」
「ごみ箱とかに捨てちゃだめだからな! ちゃんと供養するのがほんとのしきたりなんだぜ?」
「……本当にジャッポーネはエンギだのシキタリだのが好きだなあ…」







隔てる距離は遠いけれども。
間にある壁はまだ高いけれども。


どうぞ今年も一年、あなたが元気であるように。

















今更ながら(ほんとにな…!)あけましておめでとうございますなスク山…
スターフォール設定とは対というか別軸の、スクアーロが日本に居候verです
若干山本が乙女なようなそうでないような…

日常の中のスク山が大好きです。




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