山本は案外、負けず嫌いだ。
その見掛けや立ち居振る舞いから思うよりも、はるかに勝負に真剣だ。



俺は木の上で足をぶらぶらさせながら、眼下の光景を眺めていた。辺りに広がるのは暗い闇、その中で月明かりに照らされて、一人の少年が一心不乱に竹刀を振っている。現在時刻は午前一時だ。
その少年が……山本武が、普段は十一時前に就寝して六時前に目を覚ますという極めて健全な中学生らしい生活を送っていることを俺は知っている。そして、この道場で修行と称した毎日が始まってから早五日、彼がほとんど眠ることをしていないのもまた、知っている。
しんとした空気を切り裂く音、同時に足元で土や石が擦れる音。静まり返った空気の中で、それはいつまでも止まる気配を見せない。正面打ち、左右打ち、胴打ち、また正面打ち。山本はこちらに背中を見せたまま、黙々と竹刀を振る動作を続けている。
―― それを見つめながら、昔見た光景を思い出した。



あれは、ザンザスも骸も姿を見せる前、まだ日常が日常の範囲内にあった頃だ。
日曜日の夕方、何の気なしに散歩に出掛けた自分は、ふらりと足を並盛中に向けた。休日の練習を終えた山本がいるかもという考えが、そこに全く無かったとは言わない。しかしそれは本当に薄い思いつきのようなもので、期待ですらなかった。野球部の休日練習は常に朝から始まり、大抵は昼頃に終わる。試合や大会の前ならいざ知らず、終了時刻が三時を回ることは滅多にない。
だからそれを見た時には、らしくもなく目をみはった。

夕暮れに染まったグラウンドの片隅。
バックネットの前で、見慣れた黒髪の少年がバットを振っていた。

ちょっと唖然として、俺は規則的にバットを振り続ける山本を眺めた。まさかこいつは、練習が終わった後もずっと一人で、ここでこうして素振りを続けていたのか。
見つめる先でふと、腕の動きが止まる。ひょいと無造作に上げられた顔が、視線の先に俺を捕らえる。――相変わらず妙に勘の鋭い奴だ。驚いた表情はすぐに柔らかな笑顔に変わり、バットを地面に立てて山本は軽く手を上げた。帽子の鍔をちょっと持ち上げることで俺はそれに答えた。橙から薄墨に染まりつつある校庭を横切って歩み寄ると、山本はちょっと首を傾げて、「何してんだぼーず?」と尋ねてきた。
「…散歩の途中だぞ」
「お、ひとりでか?」
当たり前だというように首を縦に振ると、「すごいのな!」と笑っていつものようにがしがしと頭を撫でてきた。それにされるがままになっていると、俺の頭に手を置いたまま、山本はしゃがんで俺と視線を合わせた。
「でももう夕方だからな。早めに帰ったほうがいーぞ?気をつけろよ?」
軽く嗜めるような言葉に黙って頷くと、ん!と満足げな笑顔を見せて、山本は再び立ち上がった。くるりと背を向けた向こうで、再び練習に戻ろうとする気配を感じて、俺はもう一度山本を顧みた。山本は丁度、素振りの体勢に入ったところだった。
「お前は帰らねえのか」
「ん、もうちょっとな」
ぶん、と空気を切る音が語尾に重なる。グリップはもうぼろぼろだ。練習を終えたら、また新しいテープを巻き直さなくてはならないだろう。それを意に介した様子もなく、山本はフォームを確かめるように再度、腕を伸ばして立ち位置を変えた。
「……もう暗くなるぞ」
季節は春をまわった頃だった。暖かくなってきたとはいえ、日が暮れると急速に気温は下がる。日も長くはない。何より、朝から動かし詰めだろうその体が気になった。
「…うん」
「そろそろ、切り上げたらどうだ?」
何気なさを装ったつもりだった。それでも声音に含まれた響きを察したのか、山本はわずかに目を見張って、もう一度俺を顧みた。何を言うでもなく無言で見つめると、少し困ったように眉尻が下がった。あー、うん。そーだな。ありがとな。決まり悪げにそんな言葉を連ねたあと、山本はしばらく黙り込んだ。
そして、ぽつりと呟いた。

「――時々な、もうずっとずーっと、こうやってバット振ってたいなって思うんだ」
こつん、とバットの先が土につく。
「……もう少し、もう少しって、いつも思うんだよな。後一分やってたら、何かを追い越して、何か新しいものが…….新しい景色が見えるんじゃないかって」
そんな一分そこらじゃ、大した違いなんて無いってわかってるんだけどな。そう言って、山本は微かに笑んで、視線を俺から外した。

「それでも、少しでも早く、そこが見てみたいんだ」


その横顔を、きっと俺は一生忘れないだろう。
ずっとずっと先に投げられた眼差しは、あまりに無垢で鮮やかで、真っ直ぐだった。




「な、小僧、俺だいぶ強くなったと思わね?」
後に潜む戦いなど、そこで流される血の予感など。そんなものは一切感じさせない笑顔で、お前は俺に尋ねる。
「……まだまだだな」
帽子の鍔を下げてその笑顔を視界から遮断して、俺は短く答える。ちぇ、手厳しいのな、とまた笑って、山本は再び打ち込みの動作に戻る。笑顔は消えて、あらわれるのは厳しくするどい、目標にただひたむきな表情だ。ただ純粋に、勝つことだけを見据えた顔だ。


――俺が。俺たちが。どんな道にお前を引きずりこもうとしているかなど、全く気付かないままで。


「…あんまり無理すんな」
「おう」
「……ちゃんと休むんだぞ。」
ん、もう少しな。前を見据えたまま、手を止めないまま、お前は答える。……きっと疲れ果てて、腕を上げることもできなくなって、そこでようやくお前は止まるんだろう。



浮かせかけた腰を元に戻して、木の枝に座り直した。
月に照らされた影は、舞うように動き続ける。静かな音が動きにあわせて起こり、響き、消えていく。…それを聴きながら、そっと自分の手のひらを開き、握り締めた。呪われた小さな手。呪われた小さな身体。
この身体では、動けなくなったお前を運んでやることすらできないが。せめてここでこうして、お前を見守り続けるくらいは。



お前の傍にいることくらいは。











テーマ・自分だけが知ってる山本/その2
黒曜センターで山本の額に手を当てるリボーンと、
リング戦前山本の修行を見守るるリボーンとが、自分内ぶっち切り一位リボ山です。




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