私立並盛高校は、男子校ではあるが県下どころか国内でも屈指の有名高校だ。
政治家や企業家、科学者やジャーナリスト、果てはオリンピック選手から世界的に有名なサッカー選手まで。理系文系体育系、およそ総ての分野で輩出してきた著名人は数知れず。…それでいて学風は進歩的で開放的。当然の事ながら人気は高く、入学志望者は毎年全国津々浦々から押し寄せてきて、受験は激戦必至だ。
そして毎年その戦いを通過して、新入生たちがこの高校の門をくぐることになる。
…今年もそんな季節がやってきた。

さて、全国から生徒が集まるこの高校の敷地の、柵ひとつ越えたすぐ隣には、自宅から通う事のできない生徒たちが生活を送るための寮が建っている。
もう築50年を越えたとか越えないとかいう噂のどっしりとした木造のその建物は、入り口から門へと続く石畳になぜか大量に混ざっている貝の殻から「あさり寮」、ひいては「ボンゴレ・ホーム」と呼ばれている。(実際に混じっているのが浅蜊の殻であるかどうかは定かではないのだが)


そのボンゴレ・ホームの門前に、一人の少年が立っていた。
大きな旅行用のかばんを片手に持ち、肩にはそれと見ただけでわかる野球道具。荷物を地面に置く事もしないで深呼吸、それから少年はぐっと前に聳える建物を見上げる。

(…本当に、来ちゃった)

野球選手になるのが夢だった。
ひたすら白球を追いかけて過ごした小・中学生時代。野球するのが大好きだから、そしてそれしか取り得が無いから、ちゃんと野球のできる学校に行きたい。そう進路調査を前に打ち明けた息子を前に、それなら一番有名で一番難しいところに挑戦しやがれと親父は不器用に背中を押した。願書を取り寄せ、先輩の話も聞いたりして、いろんな学校を見て回った。…その中でもいっとう来たいと思った学校が、ここ。
野球推薦とは言っても勉強の試験だって勿論ある。我ながらなかなか頑張って、そして奇跡的に合格した。
憧れの学校。実家を離れるのは寂しかったけど、「しゃっきりしやがれ!」と、そして「風邪引くんじゃねえぞ!」と親父にまたハッパを掛けられて。そうしてついにやって来た。

「……よし。」

ひとつ大きく深呼吸。まだ寒い空気に、わずかに白い息が散る。
「よろしくな、ボンゴレ・ホーム!」


――今日からここが、仮初めの我が家となるのだ。





「…こんにちはー」
がたがたと立付けの良くない引き戸をなるべく慎重に開き、山本はひょこりと中を覗いて遠慮がちに声をかけた。
玄関先はちょっとした吹き抜けになっていて、二階に続く黒ずんだ木の階段と、一階奥に続く広い廊下が良く見えた。手前の石造りのたたきにはスペースの開き気味な大きな靴箱と、こちらは傘やモップや箒や、およそ棒状のもので満杯な傘立てが据えられている。
――呼びかけた声の響きが消えても、返事は無いままだった。
夕暮れに差し掛かった寮の中は薄暗く、しんと静まり返っている。およそ人の気配というものが感じられなくて、山本は首をかしげた。三月末という時期柄、帰省している生徒も多いのだろうが、それでも誰もいない、ということは考えにくい。
(……鍵、開いてたしなあ)
人がいないのに上がりこむのにも気が引けて、玄関口に立ったまま落ちつかない気分できょろきょろとあたりを見回した。
確かこの寮は、寮母さんとその助手の二人によって切り盛りされていたはずだ。…寮の中にはいなくとも、きっと敷地を回ればそのどちらかは見つけられるだろう。
(とりあえず、もう一度呼んでみっかなあ)

そう思って、すう、息を吸い込んだ瞬間。


「何だてめぇ」


唐突に頭上から声が投げかけられて、山本は危うく出しかけた大声を飲み込んだ。一瞬、1cmくらいは宙に飛び上がったかもしれない。――それくらい驚いた。
弾かれたように見上げた先には、大柄な男が一人立っていた。山本も長身の部類だが、そんな自分よりもさらに大きい。物音を聞きつけて出てきたのだろうか。
(…ついさっきまで、人の気配なんて全然無かったのに)
男は、階段の上から胡散臭げな表情を隠そうともせずにこちらを見下ろしている。思わず見つめ合う構図になった数秒の後、凍りついていた山本ははっと我に返った。間違いなく、この寮に住んでいる先輩だ。ちゃんと挨拶しておかなくては。
「…あー、そのえーと! 俺、今度の四月からここに入る新入生で!山本武といいます!」
よろしくお願いします!と、焦りを引きずったまま丸きり体育会系の勢いで頭を下げる。そろそろと顔を上げると、さっきと余り変わらず剣呑な顔つきで、それでも納得したように男が「は、新入りか」と呟いた。ひょっとしたら、機嫌の悪そうなこの顔つきは元々のものなのかもしれない。
「――にしても早えーな。まだ四月にも入ってないのに」
そう一人ごちながら階段を下りてくる。それに返答するべきかどうか迷っているうちに男は山本の前に立ち、隅に置かれたスリッパを指し示して、短く一言「上がれ」と口にした。
「は、はい!」
わたわたとその言葉に従う。靴を脱いで端に揃え、スリッパを履いたところで、男はまた短く一言「ついて来い」と言い放ち、さっさと先に立って歩き出した。荷物をまとめて小走りにその後を追いながら、山本はふと思いついて尋ねてみる。
「…あの、寮母さんは」
「悪いが今は奈々もルッスーリアもいねえ。…アホ寮長もまだ戻ってねえしな。とりあえず居間に連れてくから適当に時間つぶしてろ」
奈々? ルッスーリア? …きっと寮母さんたちの名前なんだろう。ひとまず納得した所でちょうど居間に到着した。テレビとソファと給湯設備と、参考書や漫画が混ざって並べられた本棚と、その他カップや何か雑多なものが置かれた棚と。そんなものをきょろきょろと物珍しく見回していると、後ろで扉の閉まる音がした。
「……あ!」
振り返ったときには、男の姿は既に無かった。
しまった、とあわてて扉を開けて飛び出す。廊下の先、おそらく二階へ戻ろうと角を曲がりかけていた男が、何事かと眇めた目でこちらを振り返る。その男に向けて、山本はぺこんと頭を下げた。


「ありがとうございました。先輩いてくれて、助かりました!」

「………」


少し驚いたように山本を見やり、男はわずかに口端を上げた。
そして、無言のまま角を曲がって姿を消した。










本ネタを知っている人がどれくらいいるんでしょうか…





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