(――やっぱり、いやがらねえか)


昼下がりの食堂。心持ち閑散とした周囲を見回して、サイファーはひとつ舌打ちをした。
いやでも目立つ逆立った金髪頭。任務や補講授業のない日は大体の場合この時間、食堂で昼食後の体を持て余していたりするのだが、今日はその姿が見当たらなかった。
来る途中、訓練施設や図書館にも寄った。らしくねぇと思いながら、校庭も覗いてみた。そしてそのいずれにも、ゼルは居なかった。
……と、いうことは。

「―――部屋、か。」

そう呟いて、サイファーは眉根を寄せる。
ゼルは基本的に、1人で部屋に篭もっているのは好まない方だ。暇があるならその時間を利用してどこかに出かけたり、何か身体を動かしている方が好きらしい。それでもこんな時間から部屋に居るという事は、体調が良くないのか、それとも。
(……まだ拗ねてやがんのか)
カウンターでコーヒー受け取り再度、今度は心の中で舌打ちする。
普段に輪をかけた仏頂面。その左頬には薄赤い跡がうっすらと残っている。


――拳の痕跡。
――昨夜、ゼルに訓練施設で殴られた跡。




――事の顛末を思って、サイファーは眉間に刻まれた皺を、更に深くした。














殴られた後、飛び出していったゼルを追おうとした。
でも、駆け去る寸前の彼の頬に涙が見えたようで、思わず立ち止まった。
そして一度立ち止まると、そこから再び彼を追って走り出すのは、サイファーにとって至難の技だった。


(……なんで俺があいつを追わなきゃなんねえんだ。)




一旦そんな考えが浮かんでしまうと、プライドの高い自分はそれを打ち消す事ができなくて。――そして結局、今に至る。




俺は本格的に馬鹿だったらしいな、と、コーヒーを啜りながら自嘲した。
こんな場合。時間が経つのに比例して、会いづらさも増して行く。…判っていたはずだ。あの時後を追って、腕を掴んで、無理にでもこっちを向かせて。そして謝れば良かったのだ。悪かったと。そんなつもりじゃなかったと。――そうでなければせめて、昨夜中に部屋を訪れるか。電話を掛けてみるか。とにかく事ここに至るまでに、打つべき手は幾らでもあった筈だった。
一方それに対して、やるべき事は只一つ。
ゼルに謝る、只それだけ。――それだけだ。しかし。





(――簡単にそれが出来りゃ)





……とっくにやっている。


知らず知らずの内に、神経質そうにコツコツと指で机を叩いていて。思わず溜息が漏れた。
(……苛々する)
解っているのに、できない。
取るべき行動が解っているのに、その行動に移れない苛立ち。
おまけに行動を阻害しているのは、どうしようもない自分自身のプライドの高さだ。





(――畜生。)





まさか、自分にすっかり馴染み、自分を支えてきたこのプライドを、邪魔だと思う日が来るとは。



苛つく心情にまかせて、叩き付けるようにカップをソーサーへ戻す。衝撃で半分近く残っていたコーヒーの飛沫が飛び散って、白いテーブルに点々と跡を残した。丁度横を通りかかったSEED生がぎくりと身を竦め、それから何事も無かったかのように、しかし慌てて立ち去って行く。
――気にいらねえ。何もかもが。










その気分は見知った人物が、自分の前の席に腰掛けた事で更に増した。





「――空いてる席は他にもあるぜ、鉄砲打ち」
「やだなあ。そんなけちけちした事言わないでよ〜。」
殺気に近い凄みを込めた視線。だが流石と言うべきか、軽く肩を竦めただけでアーヴァインはそれをやり過ごした。
常日頃と同じへらへらした笑みとへろへろした口調。それがサイファーの苛々を、急激に危険水準まで押し上げてゆく。――しかしここでいきなり席を立つのは余りにも大人気無い行動に思えて、サイファーはぎろりとした一瞥の後、アーヴァインを黙殺して再びコーヒーを啜りはじめた。
程なくカップは空になり、サイファーはもうこれ以上ここに留まる理由は無いと言わんばかりの態度で席を立った。アーヴァインの意味ありげな視線を感じたが敢えてそれも黙殺して、静電気を纏ったような無言のまま背を向ける。









「――ゼル、泣いてたみたいだけど?」









その一言で、普通ならば同じ席に座る事はおろか、2人きりになる事すらお互い避けている筈のアーヴァインが近づいて来た訳を、サイファーは悟った。
振り返るまい。その思いに反して、サイファーは反射行動のようにギッとアーヴァインを振り返った。
空中で双方の視線が衝突する。いっそ火花が散らないのが不思議なほどだった。アーヴァインの口元には相変わらずの笑みが刻まれていて、だが、その目は少しも笑ってはいなかった。




「……やっぱり、君が原因なのかい?」
「てめぇには関係ねぇ」




アーヴァインの言葉を即座に切って捨て、睨み付ける視線に更に力を込める。口出しするなという言外の圧力は、完全に無視された。

「で、謝ったわけ?どうせまた悪いのは――」
「てめぇには関係ねぇと言ってんだろ!!!」

ガン、と椅子を蹴倒す音が、辺りに響き渡る。
アーヴァインはサイファーから視線を外さない。すっと目を細めて、更に続ける。

「横暴極まりないね。よくそんなでゼルが付き合う気になったもんだよ」
「…恨み言なら他所で言え。」
「いっつもそんな調子なわけ?」
「てめぇに説教されるいわれはねえぜ」
「――いつか見捨てられるよ、そんなんじゃ」





サイファーの眉がぴくりと動いた。
淡々と、尚もアーヴァインは言い募る。





「努力も譲歩も無しに愛され続けようなんて、虫が良すぎると思わない?」

















「――失せろ」


押し出された声は低く掠れていて、そこに潜んでいる感情まで顕れる事はなかった。

――それでも何かを感じたのか。




去り際。アーヴァインはちらりと、それまでとは違う質の笑みを、唇の端に乗せていた。







・ ・ ・








目の前には、薄暗い廊下が真っ直ぐに伸びている。


――見慣れた、ガーデン寮の廊下。
夕刻を過ぎた廊下は、今日最後の太陽の光でところどころ、まだらに赤く染まっている。








(…今なら)

人気の無い寮の入り口に立って。半ば睨み付けるようにして、サイファーはその奥を凝視した。
(……今なら、まだ部屋にいる筈だ)








ゼル。








不用意な言葉で傷つけた。
悪いのは自分だった。






やるべき事は、只ひとつ。

今 本当に大切なものも、ひとつ。






 


『――努力も譲歩も無しに愛され続けようなんて、虫が良すぎると思わない?』


 







「………違えねえ。」


ふん、と軽く鼻で笑った。
色褪せたカーペットの上、肩で風を切って歩きだす。













――目指すのは、彼の部屋だ。












                                                  END





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