君たちの音

「ゼルね？」

扉を開けたら、背中を向けたままいきなりそう言われて、びっくりした。
「……何で判るんだよ。」
気味悪いぜ、とぼやきながら執務室の机に書類を置いた俺に、あでやかな笑みを浮かべてキスティスは振り返る。
「何でだと思う？」
「わっかんねえよ、そんなの。」

「そうね」
珍しく茶目っ気のある仕草で、キスティスは俺の顔の前に人差し指を立てた。
「じゃ、ヒント。この執務室の位置。」
「位置～？？」

この部屋は俺たちの間でこそ執務室なんて呼ばれているけど、実のところ何のことは無い、ブリッジの隣にある空き部屋に適当な家具を放り込んで、雑多な仕事がこなせるように改造してしまっただけだ。
未だに委員長という立場にあるスコールはブリッジで指令を出すことが多いけど、正直ブリッジはそれほど広くない。書類整理や報告チェックなんかの仕事も持ち込めないし、休息をとるスペースなんてもってのほかだ。それに加えて俺たち幼馴染みがやたらと集まってくるのもあって、いっそのこと側に別の部屋を作ろうという事になった。
それが、この部屋。
エレベーターと直結しているブリッジと違って、執務室はブリッジを抜けた先の短い廊下に面している。ガーデンが初めて飛んだときの後遺症がまだ残っていて、ここらへん一帯は建造物としてどうなの？って感じの作りになってしまっているから、基本的に廊下の先で執務室以外の部分は立ち入り禁止だ。
…基本的に、というのは、もう一つ、俺たちだけが使っている施設があるからで。

「――あ」
そこまで考えて、俺ははっと思い当たった。

「ひょっとして、あの階段か？」
おもわず勢い込んで答えた俺に。

「あたり」
キスティスは、立てていた人差し指と親指でマルを作って、にっこり微笑んだ。

俺たちだけが使ってる施設。それは下の階と繋がってる、鉄製の非常階段だ。といってもこれまた元々非常階段だったのではなく、F.Hにガーデンが衝突した時の衝撃で外装が一部、剥げ落ちてしまった元・普通の階段なんだけど。
2階のデッキ出入口脇にひっそりとある上り口に、『関係者以外立ち入り禁止』と大書した看板付きのロープを張り、俺達『関係者』は完全にその階段を私物化していた。執務室に行くのにわざわざエレベーターを使うのは面倒だし、いちいちブリッジ内を通過するのも気が引ける。だから専ら、上に上がるために俺たちはこの階段を利用しているのだ。
逆に言えば、この階段を使うのはあの孤児院メンバーにシュウ、ニーダ、そして偶に来るリノアくらいしか居ないことになる。

「ここで座ってるとね、皆が上ってくる足音が良く聞こえるのよ。」
楽しそうにキスティスが種明かしする。
「私、ここに居る時間が割りと長いから…。すっかりみんなの足音を覚えちゃった。やっぱり足音にも個性が出るのよね。面白いわ」

あっけない答えに何だ、と脱力してしまった俺も、くすくす笑うキスティスにつられて苦笑が零れた。
確かに、そうかも知れない。いや、きっとその筈。
だって俺にも思い当たりがある。

いつでも冷静で落ち着いたスコールは、けして焦ったり急いだりした足の運びはしない。規則正しく、乱れの無い調子を保って歩く。一糸乱れぬ、というのはきっと執務中のスコールのためにある言葉だ。でもその割に、日常生活で抜けてるところが多々有ることも、俺たちは良く知ってたりする。
セルフィの足音はいつでもリズムに乗っている。軽やかで、楽しげで、それでしばしば小走りだったりもする。偶にスキップなんかも踏んでいて、それがまたセルフィらしい、と俺は思っている。
アーヴァインは、割とゆったりしたペースで歩く。長身故の長い足を持て余してるみたいに。自分のペースを崩さないってことなのかな、と思っていたんだけど、それも理由のひとつかも知れないけれど、最近になって別の要因がある事に気がついた。小柄なセルフィ。彼女と並んで歩く時のペースが、あいつには染み付いているのかもしれない。
同じく、普段ゆっくりした速度で歩くのがキスティス。高いヒールを履いていることが多いので、足音自体が高くて特別判り易い。おまけに感情が足音に出るから、機嫌が悪い時は事前に察知できたりする。いつもより足音が高めで速いテンポの時のキスティスは、要注意だ。
そんでもってサイファー。あいつの足音はやけに重々しい。規則正しいペース、という点はスコールと同じだけど、奴の場合はスロウビートのイメージだ。でもどっちかと言えば俺には、風紀委員長として追っかけてくる怒涛のような駆け足の足音の方が馴染み深かったりする。

「……確かに、判りやすいよなあ…。」
思わずしみじみ呟くと、「でしょう？」とキスティスは満足げに頷いた。
「ちなみに、俺の足音のイメージってどんな感じ？」
流石に自分自身の足音については判らないから。そう訊いてみる。
「そうね。――大体走ってきて、いつも元気な足音で……。勢いが良すぎて躓いたりぶつかったりすることも多くて、ちょっと危なっかしいけど、脇でそれを見てるのは結構楽しいかな。」
「えええ？！　俺、そんなんかなあ」
「あら、自覚無かったのかしら？」
情けない声を上げてしまった俺に、くすくす笑いながらキスティスは付け足した。
「でも、地面踏んで、蹴って、着地して…、その動作が何ていうか、躍動感に満ちてる。――とってもゼルらしいわ。」

ふと、俺の耳が小さな音をとらえた。扉の外から響くそれは段々と、この部屋に近づいてくる。
キスティスも同じだったようで、俺たちはふたり、顔を見合わせて笑った。

階段を登ってくる足音。

この音は、誰の音？