(眠い…)


サイファーの部屋を陣取った大きなソファに、深深と腰をかけながら、ゼルは何度目かの大あくびをした。
時刻は只今午前3時。こんな時間まで起きているなんて、普段のゼルならとても考えられない。
現に眠さはもう限界まで来ている。無意識の内に頭はこっくりと船を漕ぎ出す。うつらうつらしては、その度に慌てて首を振って意識を覚醒させる、そんなことをもう何度繰り返しただろうか。

(…ねむ…)

二人分用意していたコーヒーは、とうの昔にゼルの胃袋におさまってしまった。苦さを我慢してブラックで飲んだ所為か、口の中がごわごわしている気がする。よくこんなものを朝一番に飲めるなあ、と、ぼんやり時計を見つめながらゼルは考える。絶対に胃に悪そうなのに。
「…いつ帰ってくんだよ…」
クッションをぎゅうぎゅうやりながら、呟きが漏れる。
昼頃には帰る。昨日の朝の電話で確かにそう言っていたのに、この部屋の主は結局帰ってこなかった。予定が狂う事だってあるわよ。連絡を確かめに行った先でそうキスティスに諭されて、頷きはした。でも心のほうは、そう簡単に納得してはいない。
(帰って来るって言ったのに。)
ちょうど昨日は土曜日だった。久し振りに二人でゆっくり過ごせることになりそうな日曜、一緒にバラムにでも出かけようか、と話していたのに。あの出不精が珍しく、『それも良いな』と同意してくれたのに。
(…何で帰ってこないんだよ)
せめて文句の一つも言ってやろうと夕方からずっとこの部屋に陣取っていたが、帰らないまま時間は過ぎてこの有り様だ。ソファーに座って携帯とにらめっこしていても、連絡のひとつもかかって来ない。いつもなら、何かしら予定が変わった時には無愛想に用件だけ、でもちゃんと自分に知らせてくれる。
(……どうしてだろう…)
まどろんだ意識の中で、今度は急速に、薄暗い不安が漂い始めた。
何があったんだろう。何でなんの知らせも無いんだろう。こちらからかけても携帯は留守電のままだ。任務が長引いただけかな。ひょっとして、何か緊急事態が起こったとか。――ケガ、したりとか。
嫌な想像が頭の中を巡り始めて、その思いを振り切るように、ゼルはクッションに軽く一発入れた。きれいに窪んだそれをもう一度抱き締めて、ソファーにごろりと横になる。
眠い。でも、眠りたくない。無事に帰ってきた姿をちゃんと確認するまで。眠らずに待っていれば、何事も無くあの仏頂面が帰ってくるような気がして。
寝っ転がったまま、耳を澄ませる。時計の秒針が時を刻む音に混じって、廊下を歩く足音が聞こえないかとじっと待つ。しん、と静まりかえった大気は、まだ初秋の涼しいとは言い難い温度をまるで氷のように冷たく感じさせて、ゼルはぶるりと体を震わせた。


「…馬鹿やろー。」


小声で悪態をついてみる。
「……何やってんだよー。」
連絡の一つも入れずに。心配するじゃんかよ。


またふつふつと不安が込み上げてきて、子供のように体を丸めた。時計のカチカチ鳴る秒針の音が嫌で、抱き込んでいたクッションを今度は頭の上からぎゅうと押しつける。昔、夜の孤児院でお化けを怖がってた時も、よくこうして不安を紛らわしたっけ。
クッションの隙間から覗き見ると、時計はすでに4時過ぎを指していた。もうそろそろ、外が薄明るくなって来るだろう。
はあ、と溜息をついて、ゼルはソファーに顔を埋めた。
今までに、サイファーがこうした約束を違えたことは無い。それは、サイファーが予定どうりに任務を遂行できる能力を持っているから。SEEDになって半年。いつも余裕綽々な表情をして、ハイペリオン片手にサイファーは帰って来る。任務の疲れが表情に出た所なんて、少なくとも今の所、ゼルは一度だって見たことが無い。


それだけに。それだけに、こうして帰って来ないと不安が増す。
待つことに、慣れていないから。




「…無事に帰って来る」



言霊って、いうんだっけ。
口に出した言葉が本当になるっていうやつ。昔じいちゃんが教えてくれた。
信じているわけじゃないけれど、でも。



「怪我したり、してない」
ぽつぽつと、思いつくままに、ゼルは言葉を紡ぐ。



「…無事に戻ってくる」




「…事故なんかに遭ってない」




 
 
「……もうすぐ、ここに…帰ってくる…」





・ ・ ・



 

据付の目覚ましベルが鳴っている音がする。
「…う…うーん……」
覚醒しきらないまま、ゼルはいつものように右腕だけ伸ばしてそのベルを止めようとした…が、その指は空を切った。代わりに手にあたったのは、少し堅い髪の感触。
「……?」
何だ?
ぼんやりと瞬きを繰り返したあと、起き抜けの頭がようやく活動を開始して――ゼルは慌ててベッドの中、自分の隣に転がっているものを見上げようとした。だがそれより早く太く長い、そして暖かい両腕が伸びて来て、ゼルの全身を彼の領域の中に閉じ込めてしまう。

 
……帰ってきたんだ。

 
ぎゅうっと抱き締められたちょっと苦しい体勢のまま、ゼルはそっと自分の頭の上にある顔を見上げる。この状態では表情はよく判らないけれど、どうやらまだ眠っているらしい。
改めて、ゼルは自分がベッドの上に居ることに気づく。確か自分は、居間のソファの上でごろごろしていたはずだ。帰って来たサイファーがここまで運んでくれたに違いない。
(…それで、そのまま一緒に寝ちまったのか)
規則正しい息遣い。薄いTシャツに包まれた、その布地の向こうの確かな鼓動。


サイファーの、暖かさ。


 

 
腕から抜け出すことは断念して、片手だけ伸ばして目覚ましのスイッチを切って。
「……おかえり。」
眠っているサイファーに、いつもの言葉を小声で告げた。

 

 

今日は日曜日。
このままもう一度ベッドの中で微眠むのも、悪くない。



 

 

                                         END



BACK