- Seifer -

自分が入り口をくぐったのと同時に、ざわりと食堂の中の空気が波立ったのが解った。
驚愕したように向けられる無数の視線。こっちが目を向けると慌てたように逸らす奴もいるが、中には逸らす事すら忘れたように唖然としてこっちを見つめている奴も居る。さらには、あからさまに俺の事を指差して興味津々の態で同じテーブルの奴と言葉を交わしてる奴まで居やがる。煩わしいことこの上ない。
視線と興味の対象は解っている。……俺の、目元だ。


――俺はパンダか。


だから嫌なんだ、と苦虫噛み潰したような気分でひとりごちる。
たかが眼鏡。眼鏡ひとつ掛けただけで、まるで珍獣扱いだ。


じろりと辺りを睨み回して煩い視線を退け、俺は手近な椅子を引いてどさりと乱暴に腰掛けた。





- Zell -

昼休み前の授業が、厳しいことで有名なキスティス先生の戦略論で。そん中で夕べの夜更かしが祟って俺はしっかりと居眠りをして。
そんでもってきっちりとお説教と、罰として資材片付けをさせられて。すきっ腹抱えてようやく食堂に辿りついたのは、いつもよりも30分ぐらい遅い時刻だった。
まあ、たまたま次の時間が空いてたから良かったけど。そうじゃなきゃ目も当てられない。この食堂はガーデンの規模の割に小さくて、食事時なんかになると悲惨なぐらい混み合うんだ。下手したら昼飯抜きだってありうる。
ピークを過ぎた食堂の入り口をくぐって。――そこで俺は、何だか普段とちょっと違う食堂の雰囲気に気がついた。
いつものざわざわした雑談の声やら何やらの音量が、小さい気がする。いくらピークを過ぎたからといっても、不自然なぐらいに。…ついでに、あたりの空気もどこかちょっと固いような…。
おばちゃん達が食器を片付けている音が妙に大きく響く中、きょろきょろと周りを見まわして俺は首を傾げた。けど、まあそんな事どうでもいいや。今は兎に角メシだ、メシ。





- Seifer -

ちらちらとこっちの様子を伺う周囲の視線を徹底的に無視して、普段より格段に不味く感じる食事を終えた。 スコールの奴と違って溜息を吐くような柄じゃないが。この状況は、結構神経的に参るものがある。

(――畜生め。)

心の中でついた悪態はそれでも周囲に対するものじゃなく、己自身の不甲斐無さに向けられたものだった。



授業にも出ずぶらぶらしていた訓練施設で、俺はちょっとしたヘマをした。切り倒したモンスターの血液を、うっかり目に浴びたのだ。
戦闘中相手の返り血、特にモンスターの体液が、目や口に入るような事態は極力避けること。……戦う上での、基礎中の基礎知識だ。そんな初歩的なミスを、しかもたかが訓練施設のモンスターを相手に犯すなんざ、全く俺らしくもねえ。
目を瞬かせると、眼球の奥の方でかすかな痛みが疼く。幾分遠くへ視線を投げかければ、レンズ越しにも拘わらず視界にはぼやけた映像しか結ばれない。


保健室のカドワキによると、俺の食らった体液は酸性のものだという事だった。弱いものだったから良かったものの、もし強い酸性のものだったら失明だって有り得たと、手当てがてらきっちりと説教を受けた。適当に頷いて聞き流し、部屋に戻ろうとした俺に、カドワキは目薬と、そして眼鏡を手渡した。
不審げな表情をする俺に向けて、カドワキはこう言い放った。
『暫らく視力悪い状態が続くと思うからね、それでも掛けてしのぐんだよ』



ざまあねぇな、と口元が自嘲に歪む。その結果がこの眼鏡ヅラだ。
鏡で見た眼鏡付きの俺は、『違和感』という言葉が額縁入りでくっついて来そうに見えた。似合わない訳じゃない。が、とてつもなく浮いている。制服ならともかく、いつもの俺の格好にこの優等生イメージを絵に書いたような四角い黒縁の眼鏡は、ミスマッチすぎだった。
脱力しつつ、それでも食事や何やの事を考えれば部屋を出ないわけには行かない。――そうして俺は、不機嫌な面(眼鏡付き)を引っさげたまま、こうして興味津々な衆目にさらされているわけだ。


畜生、あのババア。貸すならもっとマシな眼鏡選びやがれっていうんだ。





- Zell -

パンはもうどうせ売り切れだろうって解ってたから、俺は珍しく最初っから定食物を注文した。
出て来るのを待ってる間、再び周囲を見回してみる。今はもう普段の騒がしさが戻っていて、一番最初入ってきたときに感じたみたいな変な雰囲気は薄れていた。一体何だったんだ?
首を捻りながらトレイを受け取って、奥の窓際の席に腰掛ける。スプーンを手にとって皿の上のカレーをかき回しながら、俺はなんとなしにもう一度、あたりを見渡した。


……と。
瞬間、かき混ぜる手の動きが止まった。吸い寄せられるみたく、視線が一点に集中する。


(何だあれ)


斜め右前方。観葉植物の影に隠れてて、今まで気付かなかったけど。
明らかにそれは良く知ってる――別に知りたくも無かったんだけど――人物で、でも俺の良く知ってる面とは決定的にひとつ、違っていた。
ガーデン風紀委員長、サイファー・アルマシー。
そして、その憮然と不機嫌とをごたまぜにして塗りたくったような表情の上に堂々と陣取っている、黒縁のメガネ。四角い形をしたそれは瓶底までとはいかないけど、結構度の強いものみたいだ。普段ガーデンの中を睥睨して廻ってる風紀委員長がそんな眼鏡を顔の上に乗っけてるのは何て言うか明らかに不自然で、俺はバカみたいに口を開いたまま、暫らくまじまじとその面を見つめてしまった。


――さっきの妙な雰囲気の原因て、ひょっとしてこれだったのか。


そりゃああのサイファーがあんな眼鏡掛けて現れたら、思わず会話だって止まっちまうよなあ。
変に納得しつつ、俺はカレーをかき込む。サイファーの方はと言えばちょうど食事を終えたらしく、トレイを手に席を立っていた。
…やばい、こっち来るかも。
別に今何か校則違反行為をしてるわけじゃないけど、俺はサイファーがこっちに気付かないよう願った。何しろこの風紀委員長様は何かと俺の事を目のカタキにしてちょっかいを掛けて来る。まあ、それにいちいち反応返してる俺も俺だけど、それは性格なんだからしょうがない。
願いが天に通じたのか、サイファーは俺に気付かないまま机の間を素通りしていった。
数メートル横を歩き去ってゆくサイファーを、横目で眺める。眼鏡を掛けた不機嫌な横顔。もしあれがサングラスだったら、違う意味できっと物凄く似合ってたことだろう。
(にしても、古臭い型の眼鏡だよなあ)
――もっと違う形、例えば縁無しだったりもっと柔らかいフォルムだったりしたら、これ程浮く事も無かったと思うんだけど。
(……あの眼鏡、そういやどっかで見たことあるような気がするんだよな…)



数秒の間。



「……あ。」
その『どこか』が思いあたって。俺は思わず、腰を浮かした。





- Both -


「おい!」

食堂を出ようとしていた所に、後ろから突然声を掛けられて。サイファーは眉を顰めて背後を振り返った。
振り返った先には、小走りにこちらに近づいてくる、小柄な影がある。その影を認めてサイファーの表情がほんの少し、ごくごく僅かに驚きの色を帯びた。
ゼル・ディン。校則違反常習者である彼が自ら自分に近づいて来るような事は、普通ならけして無い。寧ろ、違反した彼が逃げて取り締まる自分が追う、そのパターンが2人の日常だ。
「………」
ただでさえ気が立っているところを呼び止められて、サイファーは内心の苛々が急激に募ってくるのを感じた。きつい眼差しでゼルを睨み付ける。しかし睨まれ慣れてしまっているのか、ゼルはそんなサイファーには全く無頓着な様子でずい、顔を覗き込んでくる。
「その眼鏡、保健室のだろ?」
「……あぁ?」
「カドワキ先生に借りたんだろ。モンスターに目、やられてさ?」
早口で畳み掛けられて、サイファーは今度は胡散臭げに目の前のゼルを見返した。何故そんな事を知っているのか、ゼルは自信満々の表情でサイファーの事を見つめている。
「………」
「そうなんだろ?」
「――それが、何だっつーんだ」
半ば勢いに押し切られる形で返答したサイファーに、ゼルは「やっぱりな!」とどこか満足げに頷いて、制服のポケットをごそごそと探った。



「これ、やるよ。俺のじーちゃんの直伝なんだ!」


暫らくして、勢い良く目の前に差し出されたゼルの手のひらの上には、小さな目薬の瓶がひとつ、乗っていた。
思わず反応を返し損ねて、サイファーはまじまじと、その一見何の変哲も無い目薬を見つめる。透明な瓶の中に入っている液体は、サイファーが先日保健室で貰ったものとは違う、茶色い色をしていた。
(――何だ、これは。)
「目薬。……ホントに、すっげえ効くんだぜ。」



(…何でこんなものを)
顔を顰めたまま受け取ろうとしないサイファーの表情をどう受け取ったか、ゼルはちょっと口を尖らして補足説明する。
「俺のじーちゃん、軍人だったから。こういう応急処置みたいなのにすっげぇ、詳しかったんだ。」
ほら、と軽く放られて、反射的にサイファーはその『目薬』を受け取った。


ちゃぷん、と手の中で液体がゆれる感覚。


サイファーの無言をそのまま了承と受け取ったのか、ゼルは「じゃーな」と手を上げて踵を返す。疑問が解決しないまま何の屈託も無く去られそうになって、サイファーは柄にも無くいささか慌てた。思わず遠ざかってゆく背中へ声を掛ける。
「おい」
かけてしまってから後悔した。放っておけば良かった。
呼び止めて聞く程の事ではなかった筈だ。



――何で、俺にこんなものを渡す?



「何で俺の眼の事が判った?」
結局声に出したのは、別の問い掛けだった。
「だって、俺もあんたとおんなじことしてカドワキ先生に眼鏡借りたことあるから。……へへ、あんたでもそんな失敗するんだなー」
からかうような口調にサイファーはギロリとゼルを睨む。ヤバイ、言い過ぎた、という風に思わず首を竦めたゼルは、でも次に恐る恐る、表情を真面目なものに変えて、続けた。
「……でもさ、ホント、気ィつけたほうがいいぜ?あんたが強いのなんて良く知ってるけどさ。バラムじゃ、モンスターの血が目を直撃して、失明した奴だっているんだぜ?」
真剣な瞳。本気でサイファーのことを心配しているらしい。



沈黙の後。ふん、とサイファーが鼻で笑った。
「……で、お前はわざわざ、俺に忠告しに追いかけてきてくれたって訳だ。目薬まで持ってな?」
普段と全く変わり無い、皮肉げな口調。今度はその言葉にゼルの方がむっと眉を寄せた。
間を置かず、少し朱に染まった顔で噛み付くように反駁する。
「う、自惚れてんじゃねえよ!これはたまたま今持ってただけだっ!!――ったくよ、心配してやってんのに、そんな事言うんならそれ返せよ!」
目薬が握られている右手に向け飛び付いて来るのをひょいとかわし、サイファーは届かないゼルに見せつけるように、瓶を目の前にかざしてしげしげと眺めてみせた。
「――まぁ、そう慌てるな。折角の貢物だしな。受け取っておいてやるぜ。」
「何が貢物だっ!」
ゼルが尚も噛みついてくる。それを適当にいなしつつ、サイファーは背を向けてひらひらと手を振った。立ち去ろうと数歩歩き出してからふと、犬のように唸っているゼルをわざとらしく振り返る。
「そういやあお前、昼飯食い終わったのか?ひょっとしたら片付けられちまってるかもしんねえな、食い残しがよ」
その言葉に、あ、とゼルが固まった。そこへ追い討ちを掛けるようなサイファーの声。
「全くメシの事も忘れて俺様を追ってくるなんて、てめぇも案外と健気だなぁ?」


「〜〜〜〜!! あ、あんたなんか、でーっきれぇだっっ!!!!」
顔を真っ赤に染めて口をぱくぱくさせた後。
ぎっとサイファーを睨み付けてゼルはそう叫び、同時に慌てて踵を返した。
「走るんじゃねえよ。校則違反で逮捕されてえのか?」
食堂に残した自分の昼食が心配でたまらないのだろう。足が床についていないような焦りぶりにサイファーは哄笑し、更に大声で止めを刺した。……その声も耳に届かないのか。ゼルの後姿はあっという間にフロアの中へと消えていく。



「……ありゃ立派に速度違反だな、チキン野郎。」
その姿を見送りながら、サイファーは目を眇めて呟いた。

「後でとっ捕まえてやる――と、言いてぇ所だが」



……今回は、見逃してやるか。




手の中で、暖かくなった目薬がちゃぷんと揺れる。
広げた掌の上。もう一度その瓶を見つめ直して、ふ、と口元に笑みを浮かべて。




サイファーはいつになく静かに、小瓶をコートのポケットへ仕舞い込んだ。








                                                  END





BACK