Trrrr…
ベルの音に気付いて、ゼルは洗面所から顔を出した。
各SEED室に備えられた、学校内線用の電話。その電話の着信ランプが赤く点滅を繰り返している。
「あ〜、ちょっと待ってくれ〜!」
回線の向こう側に居るだろう人物に聞こえないながらも謝りつつ、ゼルはまだ泡の付いていた両手を大急ぎで流してから受話器を取る。まだ手が濡れていることなど、この際気にしていられない。
「もしもし、ごめん……え?」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、予想した人物の声ではなかった。
・ ・ ・
「っっったく〜〜〜!!」
そして数分後、唸りながら寮の廊下を歩く小さな影がひとつ。
「俺には酒飲むなっていつもいつもいつも言ってるくせにな〜んで自分はつぶれるまで飲むかな〜!!」
ぶつぶつ愚痴りながら、ずんずんと擬音が付きそうな勢いでゼルは駐車場へと向かっていた。
数分前の電話。
サイファーだとばかり思い込んでいた相手は、セルフィだった。
『やほ〜、ゼル。元気〜〜?』
「お、おう。セルフィ、任務どうだったんだ?」
セルフィがサイファーと同じ、トラビアでの任務についていたのは知っていた。そして帰ってくるのが今日の夜遅くになるということも。
ひょっとして何か厄介ごとが起きたのかな、と思いながらセルフィに問いかけてみると
『無事しゅーりょーだよ〜!今ね、ガーデンのカードリーダーのとこに居るんだけど〜。』
返ってきたのは何とものんびりした返事で、ゼルは胸をなでおろした。
……しかし。それはそれで新しい疑問が芽生えてくる。
「良かった…って、カードリーダー?!なんでそんなとこから電話かけてるんだよ?」
『う〜ん、ちょっとね〜』
セルフィはほとほと、という感じに受話器の向こうで溜息をついた。
『困っちゃってさ〜。ゼル、サイファーはんちょのこと迎えに来てくれない?』
セルフィの話によると。
任務を終えた一行は、打ち上げも兼ねてトラビアの酒場に繰り出したらしい。(と言っても、多分セルフィが半ば強引に引っ張っていったんだろうけれど。)
そこでそれぞれがちびちびと酒を啜っている間に、いつの間にかサイファーと、やはり任務メンバーとして同行していたアーヴァインが、飲み比べのような凄まじい勢いでグラスを空け始めた、と。
「一体全体どーしてそんなことになったんだよ?!」
『知らないよ〜。あたしが気付いた時にはもう始まってたんだもん〜〜。』
とにかくその結果二人は歩くどころか立つのも覚束ない状態になってしまって、セルフィ曰く『か弱い乙女の体に鞭打って』、苦心惨憺疲労困憊の上ようやくガーデンまで連れて帰って来たらしい。今回の任務は帰途に飛行艇を使っていたから、移動している間はまだ平気だったろうが、何しろあの図体のでかい2人だ。ぐでぐでの状態を乗せたり下ろしたりするだけでも、確かに重労働だろう。
『も〜大変だったんだから〜〜。…ね、ゼル。来てくれるよね?』
……そんな顛末を聞かされて、頼みを断れるわけがない。
元より自分はサイファーが帰ってくるのを待って、夜遅くまで起きていたのだし。
そうしてゼルは、深夜のガーデンを肩をいからせながら歩くことになったのだった。
・ ・ ・
「あ、ゼル〜〜!!!」
広場を横切ると、管理人室の前にちょこんと腰掛けていたセルフィが、伸び上がって手を振ってくれた。
「良かった〜、ちゃんと来てくれて〜。」
呑気なセルフィの声の前で、ゼルとは言えば、その背後にナガナガと横たわっている物体に絶句していた。
(……サイファー、だよな。これって…)
白いコート。黒い皮靴。ハイペリオンのケース。どう見てもサイファーではあるのだが……。
コートはしわくちゃ、靴は片方が脱げかけ、ケースは常日頃の大切な扱いを忘れ去られたように、無雑作に脇に転がされている。普段後ろに撫でつけられているブロンドの前髪は落ちかけて、いつも不敵に顰められている目元は同じように顰められてはいるけれど、どちらかと言えば苦悶の表情に近かった。
(…なんか、もんのすごく珍しーモン見た気がする…)
「はんちょーが酔っぱらってるのなんて、あたし初めて見たよ〜」
セルフィが、ゼルの内心と同じ事を口にした。
「アービンもだけどさ。2人とも案外弱いんだねえ〜。」
そんな筈は無い。二人ともザルと言っても良いほどの酒豪の筈だ。よく任務明けや休みに付き合わされるゼルは、それをよく知っている。
一体どのくらい飲んだのか、まさか樽単位じゃないだろうなと思いつつ、ゼルはもう1人、同じようにマグロになっているはずの男の姿が見えないことに気付いた。
「おい、アーヴァインは?」
「アーヴィンは一緒に任務についてた子が連れてってくれたんだ〜。まさかあたしが運べるわけ、無いでしょ?」
「…そうだな…。」
そして自分はこのでっかい図体を寮まで運ばなきゃならないわけか。
「じゃ、ゼル、頑張ってね〜」
「――おう…」
あくまで呑気なセルフィの声を背中で聞きながら、ゼルはこの先の道のりを思って深い溜息をついた。
サイファーは重い。
それは判っていたことだし覚悟していたことだったけれども、まさかこれ程意識の無いサイファーを運ぶのが辛いとは思っていなかった。
「だあああ、どーしてこんなにデカいんだよ、こいつはっっ!!」
自分の体格のことは都合よく無視して、ゼルは周りの迷惑にならない程度の音量で嘆いた。
ちょっとした段差を登るたびにずり落ちるサイファーを、腕を肩に回させて担ぎ直す。それでも体格差はどうしようもなく、『担ぐ』というより寧ろ『引き摺る』に近い形で、ゼルはサイファーを寮まで運んだ。――それでも寮の入り口まではまだマシで、寮の階段部分になるともう手に負えない。思案した挙げ句、ゼルはサイファーを背中に背負って階段を上った。地面に引き摺ったままのサイファーの膝から下がごんごん階段の段差にぶつかっていたのは、この際仕方が無いだろう。
這々の体でようやくサイファーの部屋に辿り着き、何とか体をベッドの上に横たえる。靴を脱がせて床の隅に放り、やれやれとゼルは息を吐いた。
……サイファーはシーツに沈んだまま動かない。
しばらくこのまま眠っているだろう、と目算をつけて、ゼルはゲートの管理人に預けていたハイペリオンのケースを取りにゆくため、一旦部屋を出た。
ついでに自分の部屋に寄って寝巻きに着替えてから、ケース片手にサイファーの部屋のドアを開ける。そうっと覗きこんでみると、さっきと寸分違わぬ体勢でベッドに転がっている人影が見えて、思わず苦笑が漏れた。
――あれだけあちらこちらに体をぶつけたり引っ掛けたりしたのに、部屋の主は相変わらず全く目覚める気配を見せていない。
このままほって帰るかな、と思ったのだが、掠れた咳をしたサイファーにゼルは考えを変えた。酒を飲んだ後は喉が乾く。おまけに数日留守にしていて乾燥しているこの部屋の空気だ。このまま寝込んでしまえば喉を痛めてしまいかねない。
「……しょーがねえなあ…」
呟きつつ、勝手知ったる部屋の棚を開けてグラスを取り出す。冷蔵庫の扉を開けてミネラルウォーターのペットボトルの中身を注ぎ、ゼルはサイファーのノビている枕元へと歩み寄った。
「おい、起きろよ、サイファー!」
片手でぺちぺちと軽く頬を叩いてやるが、反応は無し。高い鼻をうにっとつまんでやっても、邪魔そうに首を何度か振って放させただけで、起きる気配は無い。
「ったく、もう!起きろってば!!」
業を煮やしたゼルは水を満たしたグラスを一旦サイドテーブルに置き、両肩を掴んで揺さぶった。ぱんぱん、と音を立てて両頬を叩いてやると、ようやくうっすらとサイファーの目が開き、蒼緑色の瞳に覗き込むゼルの姿が映った。目の前の彼を、訝しむように目を眇めて見やってくる。
「サイファー?あのな、取り敢えず寝る前に水だけは飲んどけよ。このまま寝たらあんた…」
喉痛くなるぞ、と続けようとした言葉は、乱暴に合わされた唇に呑み込まれた。
「??!!」
電光石火の速さでゼルの後ろ首を掴み、サイファーはぐいぐいと唇を押し付けてくる。普段からは考えられないような雑なキス。余りのことに硬直しているゼルの体を易々と持ち上げ、ベッドの上に落とし、体の下に押さえ込む。いつもより熱い掌が着ているパジャマの襟元をはだけ、中へと差し込まれてくる。
「…っ!!さ、サイファーっ!!いきなり何すんだよっ!!」
事ここに至ってようやく硬直から解けたゼルは、サイファーの腕から逃れようとしゃにむに体を動かした。いつもならこんな風に性急に事を進めたりしないサイファーなのに。今はゼルの必死の叫びにも耳を貸す様子が無い。おまけに瞳は確かにゼルの姿を映してはいるが、ゼルの事を見てはいない。
(――って、こいつなんかまだ酔っ払ってる?!)
愕然としている間にサイファーはどんどんゼルの服を剥いでゆく。止めようにも、意識が飛んでいるとはいえサイファーの力は強い。
「やめっ!…んっ!ちょ…っと!!」
はだけた胸元に舌を這わされて、ズボンに手を掛けられて。
ついにゼルは決断した。
……酔って意識飛ばした相手に無理矢理襲われましたなんて、男がすたる。
「だ――っっ!!よせ!!この酔っ払い――っっっ!!!」
じょーだんじゃねえ、と力一杯振るった握りこぶしは、丁度真上にあったサイファーの顎に、クリーンヒットした。
・ ・ ・
「おはよ〜、ゼル。昨日無事に寮まで辿り着いた〜?」
翌朝。一人で食堂の朝食をつついていたゼルに、セルフィがのんびりと声をかけて来た。
「……おう。…一応、部屋までは無事に帰りついたんだけどよ…」
疲れ果てたように、ゼルはサラダをポテトサラダをフォークの先でつつきながら、溜息をついた。
あの時ゼルの放った一発は、どうにかサイファーをまともに覚醒させることに成功したらしい。顎をさすりつつ恨めしげな目をしてこちらを見やるサイファーを、何とか説き伏せて水を飲ませ、寝かしつけて、それからやっと自分の部屋に戻ったのだ。ベッドに入る前にちらりと見た時計は、優に午前三時を回っていた。
今日も目が覚めてから寝ぼけまなこを押して様子を見に行ったのだが、サイファーは案の定ベッドの中、二日酔いの頭を抱えているばかり。取り敢えず薬と水とを枕元に置き、濡れタオルを額の上に乗せてやってきたのだが。
(――ひでー目に遭ったぜ…)
がっくり、と肩を落としてしまう。
「なーに〜?すごい疲れてるみたいだね、ゼル〜?」
「…ま、色々あってな……」
しみじみした口調のゼルに、「ふ〜ん?」と不思議そうに首を傾げつつも、セルフィは深く追求してこなかった。その代わりに、「あ、そーだ!」と手を打って、足元においている紙袋をごそごそやり始める。
「これね、トラビアのお土産〜!忘れないうちに渡しちゃうね〜」
「…土産?」
任務だけどオミヤゲっていうのがセルフィらしいなあ、と思いつつその手元を見つめていたゼルは、やがて漂ってきた異臭に顔を顰めた。
何だか鼻につんと来る。薬品のような匂い?
……、いや、むしろ、これは。
「ん?どしたの、ゼル。」
「……セルフィ、それ、何?」
「んふふー、これはね〜」
机の上に乗せられた、白い紙に包まれたボトルらしきもの。――そしてその物体から漂ってくる強烈な、アルコールの匂い。
「じゃ〜んっ!トラビア産の地酒!」
「地酒え?」
「そ!ちょっとキツイけど、おいしーんだあ〜、これが。トラビアの魂だよ〜〜!」
セルフィは、さも嬉しそうにボトルのラインを撫でている。その笑顔を見ながら、ゼルは段々嫌な予感を感じ始めた。
「……セルフィ」
「な〜に?」
「…昨日任務明けに行った酒場って、この酒置いてるよな?」
「あったりまえだよ〜。トラビアの酒場だもん。」
「…サイファーとアーヴァインも、この酒飲んだのか?」
「うん。おいしいからって薦めてあげたんだ〜。二人とも『美味い』って言ってたよ〜!」
「……セルフィも、一緒に飲んでたよな?」
「だって一人で飲むよりみんなで飲んだほうがおいしいじゃない〜?」
「………この酒、アルコール度数いくつだ?」
「ん〜と、80度。」
(………アホだ、あいつ……。)
「―――セルフィ、お前、やっぱ最強な。」
「…? え? どうして??」
ぐったりと机に突っ伏してしまったゼルの前で、セルフィはいつまでも頭上に?マークを飛ばし続けていたのだった。
END
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